「努力すれば報われる」は残酷な嘘か? マイケル・サンデルが説く『実力も運のうち』と、スポーツマンが持つべき謙虚さ
マイケル・サンデル教授の著書『実力も運のうち』は、能力主義(メリトクラシー)がもたらす「勝者の傲慢」と「敗者の屈辱」を鋭く告発している。成功は個人の努力だけでなく、環境や才能といった「運」に大きく左右されるものだ。この不都合な真実を直視することは、スポーツにおける「感謝」と「貢献」を取り戻し、真のチームワークを築くためのスタートラインになる。

はじめに:レギュラーは「偉い」のか?
スポーツの世界では、「努力した者が勝つ」「実力がある者が試合に出る」という考え方が絶対的な正義とされています。 いわゆる「能力主義(メリトクラシー)」です。
しかし、マイケル・サンデル教授は、この正義の裏側に潜む「闇」を指摘しています。 それは、成功した者が抱く「自分は努力したから今の地位にいる(だから、成功していない奴は努力不足だ)」という傲慢さです。
1. 「努力」という免罪符
能力主義の最大の罪は、成功を「自分の手柄」にし、失敗を「自己責任」にしてしまう点です。
野球チームで考えてみましょう。 レギュラー選手が「俺は練習したから試合に出ている。補欠のお前らが試合に出られないのは、努力が足りないからだ」と考えた瞬間、チームの連帯感は崩壊します。 そこには、敗者への共感も、仲間へのリスペクトもありません。
しかし、本当にその成功は「努力だけ」のおかげでしょうか?
2. その才能は「運」である
サンデル教授は、成功には「運」の要素が大きく関わっていると説きます。
- 丈夫な体に産んでくれた親(遺伝)。
- 野球道具を買ってくれた家庭環境。
- 良い指導者との巡り合わせ。
- たまたま自分の才能が評価される時代に生まれたこと(もし1000年前なら、160km/hを投げる才能は評価されません)。
これらはすべて、あなたの努力ではなく「運」です。 「自分の成功は、多くの偶然と幸運のおかげである」と認めること。 それができて初めて、勝者の「おごり」は消え、周囲への「感謝」が生まれます。
3. 能力主義から「共通善」へ
では、努力しても無駄なのでしょうか? そうではありません。 努力は尊いものですが、それを「他人を見下す道具」にしてはいけないということです。
サンデル教授は、個人の成功(学歴や地位)を競い合う社会から、あらゆる労働や貢献が尊重される「共通善(Common Good)」のある社会への転換を訴えています。
これをチームに置き換えるなら、 「レギュラー争い(能力主義)」だけで評価するのではなく、 「ボール拾いや声出しなど、チームへの貢献」が正当にリスペクトされる組織を作ることです。
結論:実力も運のうち
「俺がすごい」のではなく、「運が良かった」。 そう思える選手は、謙虚です。 そして、その幸運を社会やチームに還元しようという「貢献の心」を持ちます。
実力主義の頂点を目指すスポーツマンこそ、「実力も運のうち」という言葉を胸に刻んでおくべきではないでしょうか。
